人と人のつながりを大事にし、林業から生活を豊かにする。
林業は山奥の大自然の中で主に樹木(山林)を切り出す作業を言います。それが出来るのは、地域の山主や林業関係者の努力の賜物であります。苗木の植付から始まり長い年月をかけて育成され大きく育った樹木の伐採は、その大事な自然資源の活用の始まりでもあります。そこから産出される木材は温かみがあり、いろんな活用ができる大切な資産であると思っております。木材という自然資産は広く(地域や大都市圏も含めた)活用できるのです。それは、この過疎地域でも遠くの都市でも等しく価値のある資源であると認められております。
その木材を育んできた山主や地元の林業従事者が、山奥の過疎地である小さなコミュニティを維持管理しながら取り組んできた結晶でもあります。その地域のメンバーの協力があるからこそ、森林資源を持続可能かつ効果的に管理することができ、一時的な経済的利益だけでなく、社会的なつながりも受け継がれていくのです。この連帯感を維持してきたからこそ、林業から生まれる製品やサービスがあるのであり、それがこの地域から日本全国に広がり、生活の質を向上させると考えております。人と人の協力があるからこそ、私ども林業を営める者も、地域社会や流通の先でも、最終利用者のための加工業者やサービス事業者も、新たな仕事の創出や環境の保全をもたらすのであり、共に歩む喜びと誇りを生み出してきております。人々が共有する価値観と協力の精神が、林業を通じて社会を豊かにし、持続可能な未来を築く土台となっていくと信じております。
当社は2年前、20歳の時に林業を主業とする個人事業主として事業を始めました。大分県の山間部である、中津市山国という過疎地域で、20歳の若者が事業を始めることは珍しく、また、林業と言えば3K(キツイ、危険、汚い)と言われ、人気の無い山奥の現場で作業を行うことが一般的なため、多くの若者は敬遠していきます。その林業で、私は夢を見ることにしたのです。なぜなら、家は裕福ではなく、学力もイマイチで、知恵も浅く、学友の友達も少なかったからです。だから、友だちや人に頼らずに選べた独自の道が林業でした。
キツイ仕事である林業を選んだのは、趣味以外にお金を使わずに、黙々と仕事が出来そうだったからでもありました。自分には他に楽しめる趣味があります。それは、バイク乗りとその修理です。バイクに乗って、不具合のある所は自分で修理することが、何よりも楽しみでした。そのため、高校時代はアルバイトに明け暮れ、自分で稼いで、大好きなバイクを買い集め、修理を行う趣味に没頭しておりました。その趣味のつながりの友だちは他にいるのです。バイクのSNS等では友だちが500名おり、ネット上だけではなく、現実に会ってコミュニケーションを取り合っております。
私がこの林業で起業したのは、大分県日田市の林業高校を卒業し、大分県内の林業会社を1年半経験してからでした。就職した林業会社では、林業の仕事を1から学び、人と人がつながって仕事になることも目の当たりにしました。そこでは、手を抜くことなく、木を次から次へと切って、切った木を搬出する手順・段取りや仕組みを体得しました。
いつかは、自分が経営者となり自分自身の責任で仕事をしてみたいと思うようになりました。他の地域で森林組合に勤める母に相談したところ、「失敗しても構わないから、やってみなさい。仕事は森林組合に相談してあげるから」と激励を受けました。
ただ、昨今の林業はある程度の機械化が必要です。必要な資金は1千万円程度でした。今の取引先銀行の「大分県信用組合」に相談したところ、「あなたは、まだ、若いので信用が足りない。両親の協力はもらえませんか?」と指導いただきました。そこで、自営業をしている父に相談し協力もあり、ようやく設備資金を借り入れることができました。そして、会計処理や決算や税務署への手続きもあり、税理士との顧問契約を行い、2021年9月に創業しました。
皆様の支援の下、昨年も今年も事業は順調に推移してきております。
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